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平和 広島教区内のよびかけ、とりくみ

⑥平和公園 原爆ドーム

⑥平和公園 原爆ドーム 1996年(平成8年)世界遺産登録

1915年(大正4年)広島県物産陳列館として竣工。チェコのヤン・レツルが設計。被爆当時の名称は、広島県産業奨励館。

 「あのいたいたしい産業奨励館(原爆ドーム)だけがいつまでも恐るべき原爆を世にうったえてくれるだろうか」これは、被爆後1960年に骨髄性白血病で無くなられた高校生 楮山(かじやま)ヒロ子さんの記された言葉です。

当時、原爆ドームの保存に関しては、被爆者の中でも賛否の意見が出ていたが、彼女の日記を契機に一気に保存に世論は動き、「原爆ドーム保存募金活動と署名活動」が始められ、この活動が広島市議会、広島市長を動かすこととなった。その後、1966年広島市議会にて原爆ドームの保存が決議された。

【参考文献】
「被爆50周年未来への記録 ヒロシマの被爆建造物は語る」
                広島平和資料館 1996
「ヒロシマ散歩原爆遺跡・戦跡をたずねて」植野浩 
                     汐文社1997 
広島市ホームページ